天皇の料理番と日本人
『天皇の料理番』は、“宮内省大膳職司厨長(料理長)を務めた秋山徳蔵氏の青年期から主厨長になるまでを描いた作品(ウィキペディアより一部抜粋)”
小学校の卒業のアルバムで『将来の夢は伝説の料理人になること』と書いて、
お蔭で中学校の入学時には“伝説の料理人”というあだ名が全生徒の間で既に認知されており、
結局、料理人にはならずに弁理士になって、秋山徳蔵氏が修行した同じ彼の地であるヨーロッパで修行中の自分自身と勝手に重ねて、
激しく見入ってしまいました(まだ途中ですが)。
同じく勝手に自分と重ねて視聴した『結婚できない男』以上に面白く、個人的には史上最高のテレビドラマでした(ちなみに勉強も兼ねてドラマは全て英語で観るようにしています)。
プライベートな面も何やら色々重なって驚きましたが、
フランス料理の本場フランスのトップレストランのシェフに僅か三年余りで上り詰め、
天皇の料理番として、日本一のシェフとして日本に帰国したという偉業を成した点では、
自身と重ねるのもおこがましくございました。
ところで、日本一の弁理士って、何でしょう。
弁理士会の会長?
日本一大きい事務所の所長?
弁理士資格を全世界で取得した人?
自分でも一番発明した人?
はたまた、前代未聞の量の商標をたくさん出願して怒られた人?
私は、クライアント、日本、世の中に一番貢献した弁理士だと思っています。
弁理士創設の趣旨、法制度設立の背景に遡ると、そこに至る気がします。
だからそうした一番の弁理士は一人ではなく、世界中にたくさん存在するほどいいと思います。上記の会長も大事務所を目指すのも全てそのための手段であるべきです。
さておき、ドラマを観ている中で色々と考えさせられましたが、
世界で日本人が活躍する姿を観るのは、日本人として非常に嬉しく頼もしいです。
欧州や米国でも、日本人の弁理士が現地のローファームに入って、
色々苦労しながらも欧米人と肩を並べて自分の腕一本で戦い、日本の海外進出に尽力する姿は、競合他所だろうが同じ日本人として喜ばしいです。
秋山徳蔵氏は、病気を患っている兄の期待に応えるべく、
パリの最高峰レストランの立場を捨てて、日本に帰国して、天皇の料理番になる道を選びます。
日本一の料理人になるという夢を追わなければ、自身を慕ってくれた女性と離婚することも、子供が流産することもなかったかもしれません。
ですが、いろんな犠牲を払って、理不尽な境遇でも努力を続け、
誰もが成し遂げられなかったことを偉業は為した軌跡は、
今なおドラマや小説等を通じて日本人を励ましているように思います。
当時から100年ほどが経って、日本製の自動車やカメラや、ポケモンGOが世界中に溢れるようになりましたが、
まだまだ、欧米、海外には、日本人の素晴らしさを日本の製品やサービス、現地で働く日本人の働く様を通じて伝えていく必要がありそうです。