一年間の軌跡
ドイツ語及び英語は予想外に、驚くほどに上達していないものの、
仕事面等では予想以上に収穫の有った一年でした。
振り返る意味でも、以下に軌跡を示してみます。
- 入所して僅か8ヶ月で、初かつ単独出張 3週間
- 出張で訪問した会社のうち、2社がドイツまで訪問、3社はトライアル案件をご依頼予定
- 5月に来所された企業から、日本事務所を介さない直接出願の開始と依頼件数がその後、前年比で2倍
- 弁理士会、事務所からのセミナー依頼 2015年、四国弁理士会、特許事務所主催セミナー、某グループ会社セミナー
- 上記実績に鑑みて(?)、日本人弁理士もう1名の採用
- 地元新聞社コラム13回掲載、講演会の記事掲載
- 念願の弁理士会国際活動センターのセンター員任命と、報告書のWeb掲載、EPO主席ディレクターとの意見交換会に参加
正直、予想だにしていなかった驚愕の軌跡です。
これも偏に、日本を発つ際、ドイツに来てからも応援してくれた仲間及び恩師のお蔭です。
また、日本に居た際からドイツでの戦略を考え、人脈作りと戦略作りとの勤しんできたことも大きいです。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、
座右の銘で、まさに身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれの精神で日本を発ちました。
一方、『いつでも戻るところはあるからそのつもりでドイツの会社で思いっ切り挑戦してきなさい』の有難く重い一言を去り際に下さった前職の上長であり恩師である方の一言も大きいです。
最近、吉田松陰先生の本を読んでいます。
ペルー来航で混乱の中、皆は欧米人を呼び彼等に最新技術を学ばねば、と考えた中、敵地で最新技術を学ぶべきと、軍艦に乗り込んでその志を実践しようとした吉田松陰先生と、
日本企業のグローバル化、少子化に伴う海外展開を支援する上で、
日本の特許事務所に居ながらにして同僚の米国弁護士や実務を通じて学ぶよりも、
いっそのこと現地事務所に身一つで飛び込んだ方が得られるものも大きいし、現地側からの方が支援できることはたくさんあると踏んでドイツに亘った自身と
の間に共通点を見出しました。昔、立志の点で、吉田松陰先生と共通するものがある、と吉田松陰先生の学習ノートをくれた荻出身の知人が居て、そのお蔭で吉田松陰先生に興味を持ち、弁理士試験時代も支えられました。
偉大な侍に支えられ、今の平和と隆盛がある日本。
“侍”の意思を継ぐ“士”として、
欧州と日本との懸け橋になる、
この初心は忘れずに今後も励む所存です。