海外勤務希望の弁理士(国際派弁理士)と今後について
お問い合わせの多いトピックですが、ドイツに至るまでの経緯を含めて以下ご参考まで。
(国際派弁理士について)
まずは自身の経緯から。
私は弁理士試験勉強中、訴訟系か国際派の弁理士を目指していました。
訴訟系を辞めた理由は、国内の知財訴訟の減少を予測したことと、民訴を少し体験して訴訟に向いていないと思ったからです。日本には、米国やドイツと違って、トラブルになったら取り敢えず裁判で争うという文化もありませんし、むしろ訴訟せずに解決の道を探れるのであればそちらの方がいいのかなとも思っています。例えば地方は地方のネットワーク、知財業界は知財協のネットワークである程度、訴訟が未然解決されているので、それはそれでよいのかもしれません。ただ問題は、こうした日本での環境が当たり前だと思って海外に進出するとかなり痛い目にあうということです。
また二点目の選定理由として、当時、若干、家裁関連の弁護士にお世話になったのですが、完全に相手が悪い場合でも、そんな事案は倫理に沿わないので受け付けませんという代理人がいらっしゃる一方、被害者側の問題を洗いざらい取り上げ、被害者側に瑕疵があるように弁護してくる代理人もいるので、そうした仕事はしたくないなと思ったものです。逆に、『そんな事案は倫理に沿わないので受け付けませんという代理人』にこそ担当して欲しいと私なら思うので、クライアントを選ぶ人が結局は選ばれる、という気がします。
一方、既存クライアントからのニーズから、外国実務、判例、審査基準を踏まえた明細書を書いてほしい、この技術は米国が最重要だから、米国での訴訟やライセンスを踏まえたクレームを執筆して欲しい等、多くの要望を頂きました。これが、英語がさっぱりで、外国特許実務経験がゼロでもあった私が外国の特許制度や実務に興味を持つようになった理由です。
BRICs、中国、米国、欧州の法制度を勉強する勉強会を所内で立ち上げ、
これらの実務や法制度に沿った明細書について所内で研究していましたが、
どれだけ書籍や文献を読んで勉強するよりも、OJTには敵わない、当時属していた大手特許事務所の外国部門も現地代理人任せのところがあったので、
『それでは現地代理人に弟子入りして容赦なく鍛えて貰おう、
重要になりつつ外国での権利化や係争事案を日本との懸け橋として支援しよう』
という決心に至りました。
当時の特許事務所から派遣してもらうことも検討しましたが、
所詮はお客さん扱いなので容赦なく鍛えてもらえない、と思ったので現地代理人のもとに飛び込むことになりました。
一点予定外だったのは、骨を埋める覚悟で飛び込んだ最初の事務所では、
完全に営業・マーケティング、日本向け窓口要員となってしまったので、懸け橋としては機能したものの、『それでは現地代理人に弟子入りして容赦なく鍛えて貰おう』の部分が全く得られず、二年で転職に至ったことでしょうか。
同じく予想外だったのは、二年間、存分に自由に営業活動等は担当させてもらえ結構派手に動けたので、幸い、欧米の幾つかの有名どころローファームから声がかかるようになったことです。
欧州はこれまで、昭和の日本のように出願件数が右肩上がりで弁理士の極端な増加も規制されているので営業に力を入れる必要はなかったのですが、日本からの出願件数が減少したり、経営バランスの観点から、新規開拓やマーケティング戦略の必要性が増えてきたのだと思います。
現在は、自身の処理速度と吸収能力が追い付かないほど多くの実務案件に触れる日々で、優秀なアトーニーにみっちりと鍛えて貰っているので、
『それでは現地代理人に弟子入りして容赦なく鍛えて貰おう、
重要になりつつ外国での権利化や係争事案を日本との懸け橋として支援しよう』
の初志貫徹に近づいていると思います。
このように海外の転職では予期しないことも日本での転職と比較して多いので、
或る程度、ビジョンを決めて、随時、軌道修正していくことは非常に重要だと思います。
(米国・シンガーポール・ドイツの狭間で)
話は戻って、なぜドイツかということですが、
一つはヨーロッパが好きだったからです。
10年前にこの業界に入る直前、初欧州として訪れたベネチアで感動し、『絶対に欧州に戻ってくる』と一人勝手に誓ったのが大きいです。
実体的な面では、欧州単一効制度、日本と並ぶ工業国、確立された法制度、日本弁理士の希少性が挙げられます。この読みは今でも正しかったと思っています。
当時は、マックスプランク研究所のLLMに留学してから仕事を見つけることを検討していましたが、年間学費約400万、卒業しても仕事を見つけるのが難しい・日本では有名でもドイツではあまり評価されない、という事実を知り、費用対効果の点から見送った次第です。
実際に働いて思いますが、工学修士はあった方が断然いいですが、
学位だけではなく職務経験が非常に重要視されます。
なので、ドイツや欧州で将来に勤務したい方は、
今の目の前の仕事に一所懸命に取り組んで、職務経歴書に記載できる職位、実績やスキルを磨くのも一つの近道だと思います。あと、営業も期待されるはずなので、そのあたりの下ごしらえをしておくとなおいいと思います。
私は留学を選ばないこととした分、この二点はかなり力を入れて取り組みました。
幸運が幸運を呼んで、この二点が揃い、ドイツに絞った頃に、
『ドイツで働くことに興味ありますか?』
と夜中の0時、FB経由で声がかかったのでありました。
(英語もドイツ語も当時からさっぱりな状態でしたが、、QAを1000パターン用意して、一次スカイプ面接ではPC周辺はQA集の付箋だらけになる始末で奇跡的に乗り切りました)
高校の頃、ある心理学者が『夢を紙に書き目の見えるところに貼っておくと90%実現する。あとの10%は勇気と行動力だ』
と話されていたのを聞いて依頼、手にもスタバのお手拭きにもメモするメモ魔になってしまいましたが、某家裁事案で病んでいた弁理士試験の受験生時代、
自身の名刺に「弁理士 ミュンヘンオフィス」と勝手に手書きで加えたもの大事に持ち歩いていましたが、
その後、2年間の間に両方が実現したことを考えると、20年近く前の講演で話された心理学者の理論に何等かの因果関係、相関関係を見出したくなります。
(米国という選択肢)
一番最初に思いついた渡航国は米国でしたが、
・既に日本弁理士が溢れて必要性が低いこと、
・LLMに生活費含めて約1000万円かけて留学しても、アイビーリーグのLLMを卒業しても米国事務所に応募して返答のある確率は1%であり、仕事を見つめるのが非常にムズカシイく基本ペイしないらしいこと(知人は無給で1年間米国ローファームに席だけを置かせてもらって後は只管試験勉強してたようですがこれが現実のようです。キャリアとしては記載できますが、実体的には米国実務を学べず、空白の一年間になってしまい勿体ないようにも思えます。)
・留学も結局は仕事を見つけるため、次の仕事に活かすためだと思いますので、留学そのものを目的にしていた自身の考えをこのとき改めました。肩書があった方が勿論よいですが、弁理士は職人業でもあるので、現地代理人のもとで学べるOJT(しかも給料を貰いながら!)ほど価値の高いものはありません、
・米国で本格的に働きたいのであればJD(法務博士)の三年コースで学んで特許弁護士になることが必要であるものの、約3000万円は必要とのこと、一方、米国特許弁護士の激増で3年間の無収入+約3000万円のペイはまず期待できずリスクが高すぎるとのこと、このプロセスを得てようやく米国特許弁護士になったとしても、あくまでもアメリカ人の米国弁理士・米国特許弁護士のアシスタント的立場でしか仕事ができないのが現状であること、
・費用を抑えるべくLLM(1年)で留学しても、通学生の法学士(中央大等の通信はNG)か日本弁護士資格を持っていないと、米国弁護士の試験を受験できないこと
・当時、日本の弁理士資格を持っていればLLMに行かずともカリフォルニア州弁護士を受験することができ、コスト削減の最終案をこの道を目指そうと考えましたが、それも2014年の米国裁判結果で、『否』となったこと
以上から、いろんな人に会ったり文献にあたって調査した結果、米国は選ばないこととしました。
なお、『米国や欧州で働くにはどうしたらいいか、教えて欲しいです!』という方もけっこういらっしゃるのですが、その際に、既にいくつかのローファームに応募済であったり、上記情報は最低限調査済であったり、採用側に自身のやりたいこと、強み、自分が貢献できる具体的なビジネス案を提案できるぐらいではないと、そもそも欧州や米国のスタイルには合っておらず、現地のローファームからも歓迎されず、その後の仕事も厳しいのかなと実感します。
(シンガポール)
シンガポールは、アジアの知財拠点の構想が当時進んでおり、
所属していた日本の事務所も現地オフィスを設立することを検討していたので、
その現地オフィスの設立と運営に携われることができればかなり面白いのでは、と思っていました。
ちょうど前事務所(ドイツで最初に務めたローファーム)の話があったとき、シンガポールの話も上がっていたので、シンガポール特許庁等を訪れたり、色々と調べましたが、
・国土が狭すぎて物を製造する場所が無い⇒知財、特に特許権の必要性が低い
・アジアの金融の中心、模倣品の流通経路には成り得ても、アジアの知財中心に成り得る環境ではない
と実感したので、シンガポールは一旦、見送ることにしました。
2017年施行予定の欧州で単一効特許が実現され、オプトアウト(適用除外)の7年が経過する2024年以降は、セントラルアタックで欧州全域をカバーする一つの権利が取り消されるリスクや敗訴リスクが高すぎるので、
正直、欧州特許庁に対する特許出願は激減すると思っています。
そのころ、日本人の欧州弁理士は30~50人になり、飽和状態になっていると予想されます。
一方、ドイツ、スペイン、イギリス、イタリア、フランス等、
事業エリアや製品に応じてピンポイントで、その都度、必要な国を選定して、特許、実案、商標、意匠と、必要な権利を取得する方向性に進むと思います。
特に、過去三年間、増加率20%という勢いで増加してきた、日本からドイツへの国内移行出願は一層に増加すると思います。これに対応出来る日本弁理士はドイツ語の壁もありまだ大変に希少だと思います。一方、日本弁理士ではなく、日本人という枠に広げれば、対応出来る方はかなり増えているように思います。欧州弁理士資格を持った日本人が今後5~10年で激増すると思いますが、そのころには、欧州各国の弁理士資格をもった日本人の方が希少性は高まっていると思います。スペインであればこの人、といった欧州各国の枠を狙うのであれば今のうちです。現在日本で活躍中で5~10年後に欧州各国の第一人者となる人はこうした洞察力をもってコツコツと準備をしている方だと思います。ドイツに来て思いますが、人と違ったことをやるのであれば、そのエリアでやはり第一人者にならなければその価値も激減します。同じ理論で、この第一人者になったからこそ、日本国内の初代所長弁理士の皆様は尊敬に値します。
逆に、これらのエリアのマーケティングや法制度に精通して、
各エリアの代理人と太いパイプのもとに、クライアントの事業に応じたコーディネータをできれば、すごく面白い仕事ができるのではと思っています。
私もこつこつと、欧州圏内でのネットワーク網を拡張中です。
欧州に居ると逆に、日本の景気は上昇傾向、治安もよく、
欧州より勢いがありそうに見えます。
日本弁理士が増えているとはいえ、まだまだ未開拓のブルーオーシャンも存在するようにも見えるので、
言語と人種の壁を越えて海外で働きたいという方は、
その理由と必要性と将来性を一旦深く考えてみるといいかもしれません。